網戸のはなし

網戸の歴史 其の弐

網戸修理

超高級品だった蚊帳

乾燥していると切れやすいとされていた経糸(この場合網戸を編んである糸、またはそれによってできる面)が、この土地にある琵琶湖の湿気によって切れにくく、蚊帳作りに適した土地だったわけですね。また、近江商人の西川甚五郎が考案した、「萌黄蚊帳」(※麻の生地を萌黄色に染め上げ、さらにその縁に紅布を付けたもの)によって、近江蚊帳は生まれてより約400年間日本全国で流通する事となります。 なお、この戦国時代においても、蚊帳はまだまだ貴重な品で、「米にして二~三石」と言われていました。一石が十斗、そして一斗が十升、一升を現在の単位に直すと1.5kgなので、二~三石と言うとお米300kgから450kgという凄まじい価値があったわけですね。今なら誰もが簡単に手に入れる事ができる蚊帳がこれほどの高級品だったなんて、ほんとうに驚きですよね。江戸時代になると、「本蚊帳商工会」の前身となる組織が十七軒の蚊帳屋によって発足します。その後、江戸時代後半になってから、ようやく蚊帳は庶民の間でも使われるようになっていきました。さて、庶民に普及した蚊帳ですが、これがどのような経緯を経て現在の網戸へと変貌していったのでしょうか?<網戸の歴史 其の参へ

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