網戸のはなし

網戸の歴史 其の四

網戸修理

アルミサッシとのタッグ

前ページで記した紙帳(しちょう)ですが、これはあくまで通過点であり現在のような形態の網戸になるには、まだまだ時間がかかりました。大前提として、紙帳が現在の網戸の形になるためには、当然ながら引違式の窓ガラスの存在が無視できないわけです。そして、その窓ガラスを旭硝子(AGC)が国内で作り始めたのが、1909年の明治時代であり、板ガラスが量産可能となった続く大正時代に窓ガラスが世間に普及していくこととなったのです。けれどもこの時点でもまだ網戸は登場しません。と言うよりも窓の製造業者すら現れておらず、大工などの職人たちが仕事の延長線上で窓を制作していたものと思われます。想像ではありますが、これらの職人の中に、機転をきかせてガラスの代わりに網を窓枠にはめた人もいたのではないでしょうか。さらに時は流れ流れて昭和30年代、サランと呼ばれていた塩ビ系樹脂を原料とする防虫用の網が開発され、加えて昭和35年から昭和40年にかけて現れたアルミサッシが凄まじい勢いで家庭の窓に浸透していきました。このアルミサッシの普及と同時に、それまでの生活の中で親しまれていた蚊帳は急速に廃れていき、そのお株を奪う形でようやく網戸が表舞台にその姿を現したのでした。なかなかはっきりとしなかった網戸の歴史ですが、高々50年ほどと意外に最近生まれたものだったのですね。

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